ACTIVITIES活動報告

岐路 決断の理由

合流新党への参加を決断した明確な理由を本人のFacebookで公開させて頂きました。
地元の支持者の方々とも相談しながら、難しい決断でありましたが、決め手となったのは、自分はなぜ政治家を志したのか?、です。この原点に帰って決断しました。
以下、転記します。
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親愛なる大切な皆様へ
謹啓
現在コロナの影響で多くの皆様が大変な環境にあると拝察いたします。

この度所属していた党が解党となり、私がどのようにして選択したのかも含め、改めて皆様へ私の率直な思いをお伝えしたく思います。
2006年、私は当時お世話になっていた自由民主党衆議院議員の秘書を辞して、地元の土浦に戻り政治家になる決意をしました。そのときなぜ私は野党の民主党を選んだのか。
私は永田町で秘書として、なまの政治を日々、目のあたりにして過ごしてきました。
当時は小泉首相のもと、規制緩和政策が押し進められ、単純なフレーズのスローガンと派手なパフォーマンスの政治は「劇場」と呼ばれ、世間を熱狂させていました。
しかしその実態は弱者を次々と切り捨てるものでした。日本の古き伝統、地域の絆は失われ、日本社会が徐々に崩壊していくのを実感しました。
 「このままで良いのか? 故郷の茨城も疲弊し、希望が失われる格差社会が作られる。日本に必要なのは一強政治ではない。緊張感のある二大政党政治だ。足の引っ張り合いではなく建設的な議論をする政治だ。人々に寄り添った政治が必要だ」という強い危機感を抱き、私は民主党を選びました。
こうして私の政治の原点は「自民党政治では救えない小さな声を聞き、また、声さえあげられない人たちに寄り添った政治を行うこと」
「そのためには日本を支える大きな政党をもう一つ作ること(二大政党政治の実現)」にあります。 
当時27歳の私はこの思いで茨城県議選に臨み、共感して頂いた皆様のお蔭で全国最年少にて当選しました。
県議の2期8年の間、地域を廻り、色々な方のご意見をお聞きし、地方政治だけでは解決できない国政の問題にも直面しました。そして地方と国のパイプ役として働き、政治を変えたいとの思いがますます強くなりました。
2017年の衆議院総選挙でようやく初当選させて頂き、以来、東京に議員宿舎を持たず「通勤する国会議員」として、誰よりも茨城に心を寄せる地元出身の議員として、県議の経験も役立てながら活動しています。
私の思いとは別の次元で、所属していた政党がその名前を民主党から次々と変遷していきましたが、政党自体はすべて民主党の存続政党でした。
つまり、私自身は同じ場所に立ち続けていました。私の志が、ぶれたことはありません。
この度、党が解党され、新しい政党を作るにあたり、私も非常に悩みました。
究極には、自身の志の「声さえあげられない人たちに寄り添った政治を行うこと」「政権交代可能な二大政党制の構築」との思いから合流新党への参加を選びました。
今150人に及ぶ国会議員が新党に合流しようとしています。新しい政治を作るとき、可能性はいつでも未知数です。
政治家として、そして、我が子を持つ親という一個人としても、どのような日本にしていきたいのか、将来の日本の形を現在の仕事を通じて作っていく責任を重く感じています。
今回の決断にご意見やお叱りがあることも重々承知しておりますが、私の志は原点から変わらず、引き続きのご指導の程、何卒よろしくお願い申し上げます。時節柄ご自愛ください。
謹白
令和2年9月吉日
衆議院議員 青山大人
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