ACTIVITIES活動報告

35歳、落選。全てを失った男が国政へ向けて、再起への道のり⑩

このタイトルが非常に後ろ向きだとのご指摘を複数の方から頂いたので、今日の10回記念に次回からタイトルを変えたいと思います。雨のため、消防操法大会の練習が中止になったので、今日は独り言を少し。因みに今年は3番選手をやります。
政治家は歴史を学ぶことが大切だと思います。そんな考えもあり3年前から予備校で世界史の講師をしております。さて、世界史の中でも近現代史、特に第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、いわゆる「戦間期」は今の世界情勢に通じるものが多々あるなと最近感じます。
第一次世界大戦で負けたドイツでは、ドイツ社会民主党、ドイツ民主党、中央党の穏健派勢力が結集し(ワイマール連合)、「ワイマール憲法」が制定されました。議会制民主主義をとり、女性の参政権をはじめ男女同権、労働者の団結権や団体労働権、今の日本国憲法にも入っている生存権も認められ、当時世界で最も民主的な憲法と言われました。
敗戦後のドイツは、アメリカ資本の援助等で徐々に経済も回復、世界的にも戦争を回避するために国際協調に向かっていたのだが、1929年の世界恐慌以降、ドイツ経済も混迷する中で、反ユダヤを掲げ、巧みな宣伝でマスコミを操作しナショナリズムを刺激するナチ党が急に勢力を伸ばしていきました。議会の構成をみても、ナチ党の大躍進がはっきりと表れています。もうひとつ注目すべきはこの時期、共産党も伸びているのです。
1928年 ワイマール連合240 ナチ党12 共産党54
1929年 世界恐慌
1932年 ワイマール連合212 ナチ党233 共産党80
そして、1933年に首相になったヒトラーは、議会の機能を停止させ、さらに他の政党も解体し一党独裁体制をひき、さらには党内部の反対勢力も一掃し、独裁者となり、あの悲惨な世界大戦を引き起こしました。
何故、独裁者ヒトラーを生んでしまったのか。もちろんこれは歴史の専門家がさまざまな検証をしているわけで、どうこう持論を展開する気はありませんが、穏健派がきっちり結集できなかったことも一つの原因かな。穏健派を結集した野党再編ができないものかと思う雨の夜です。