ACTIVITIES活動報告

備忘録として。

備忘録として。東日本大震災から2年後の今日(今から4年前)の記事。特にコメント欄での石部さんの質問の対する回答の部分をアップ。
石部さん
詳細レポということで、率直に現地を見て感じたことを書きます。但し、以下2点を念頭にお願います。今回はJヴィレッジ(放射性物質の拡散防止、人員輸送、資材物流、個人放射線管理の拠点)から福島第一原子力発電所そしてJヴィレッジに戻るまで全体で5時間の視察、さらに私は原発敷地内に入るのは初めてということです。
1:外部へは伝わってこない現場の方々のご努力。
未だに一日あたり3000人もの方々が建屋内で働いているとのこと。視察の間、数えきれないほどの作業員の方々とすれ違いましたが、皆さん、福島第一原発から約20㎞離れているJヴィレッジを拠点として、出入りの際さらには休憩の際に放射線濃度を始め厳重なチェックをされながら、毎日毎日、途方もない作業を緊張した状態で行っているなと。現在4号機廃炉への具体的な作業が始まり、3号機ではがれき撤去作業、1号機、2号機は安定化状態確保のための取り組み。これら途方もない工程に対して、作業に携わる方々のパフォーマンスをこれから先、どう保っていったらいいのだろうか。
2:偶然なのか必然なのか。
今回の事故についてこれまでさまざまなことが言われていますが、無責任に言えば、①平成19年の新潟中越沖地震の事故以降、免震棟の必要性が言われ、ここ福島にも平成22年夏に海抜35m地点に免震棟を建設していたので、事故後、対応することができた。では免震棟がなかったらどうしたのか?②4号機はたまたま停止状態だった。ではもし4号機も動いていたらどうなったのか?③送電線の鉄塔が倒壊してしまったが、倒壊しなかったら、電源が確保できこのようなことにはならなかった。④そもそも元をたどれば、海抜10メートルの低い地点、高台の下(造船ドッグみたいに感じた)に原発を4基もつくらず、5,6基のように高台に造れば大惨事は起きなかったのに。
と、いいも悪いも含めて「たられば」の話をしましたが、こういった「なぜ?」について当時の議論については知り得ませが、私個人として率直にこれは、「政治の責任」だと、政治の一端に携わるものとして感じました。
3:周辺地域を今後どうしていくのか。
昨年8月まで、Jヴィレッジまで立ち入り禁止区域。今年の3月に原発までの道がようやく解除されたわけですが、Jヴィレッジから原発までの道の周囲には除染した廃棄物のつまった黒ビニル袋がたくさん横たわっている光景になんとも言えない悲しい気持ちになりました。
あくまでも私個人の率直な感想です。おそらく厳しいご批判もあると思いますが、敢えて書かせて頂きました。