ACTIVITIES活動報告

避難所から帰宅&新治地区水道の続きの続き

東日本大地震から早いもので、今日で一週間となりました。
このブログも大地震以降、地元土浦の方々が知りたいことを追求した情報提供としての役割は終えようとしております。大地震発生以来この記事を含めて53件の記事を更新、当初市民に対して全く情報発信がされない中で、タイムリーな発信とできる限りの正確さ、そして皆さまに役立つことを追求し、一定の役割は果たせたかなと思います。最高で一日34101件のアクセスを記録したことがそのことを物語っているかなと。
もちろん東日本大震災はまだまだ終わりません。実際、福島県から避難される方が続々やってくるという状況を目の当たりにして、深夜眠れずにソファーにいた方達と故郷を離れての今後の生活への不安や原発のことなど多くを語り合う中で、改めてこの大地震の傷の深さと大きさを感じました。
さて、本題の新治地区の水道復旧ですが、2日前のブログには霞ヶ浦から取水して水を上げるのに4日程度かかる予定と書きましたが、、今日で終わっていました。つまり2日で終わったということです。予定より2日短縮です。すごいです。水道管の損傷がないとして、このまま順調に行けばあと3、4日で新治地区全域で水が使えるようになるかと思います。
話を避難所の話に戻しますが、朝から副市長をはじめ土浦市役所、土浦社会福祉協議会、土浦市産業文化事業団や県の方々はじめ多くの方々が集まりました。それぞれ役割がきちんと整理されており、避難所は順調に運営されております。生活物資のほうも今のところ不足しているものはないくらいです。今後、避難されてくる方がどのくらいまで増えるか、どのくらいまで続くか何とも言えませんし、運営も大変になってくると思いますが、一先ず私の役割は終えたのかなと思います。
今後は、東北地方をはじめ被害が一番大きい場所への支援をどのようにしていくか。現に、私たち民主党茨城県連青年局では関西から支援物資を集め、飛行機で茨城空港に運び、水戸を拠点として北茨城などへの物資輸送計画を立てており、近々実行に移す予定であります。
と同時に、今後この東日本大震災を乗り越え、どのように復興していくかについても考えていかねばなりません。新たな段階へ行こうと思います。
最後になりますが、避難されてきた方々がみんなこう言ってくれました。「茨城の方たちは温かい、懐が深い」と。とても嬉しかったです。
因みに今後の土浦市に関する情報はこのブログで何度も紹介しましたが、土浦防災HPをご覧ください。
さすがに昨日の22時くらいから今まで不眠不休、何も食べていなかったので、今日はこれから節電も兼ねて休みます。ではでは。